2018年の8月下旬、横浜の赤レンガ倉庫にて、ディック・ブルーナの作品展『シンプルの正体』が開催されていました。
多くの学びがあったので、今日はそのことを書いておきたいと思います。
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この作品展をみた私の所感は、
【究極的に磨き上げられた真に完成した物体は、一見してシンプルに見える】
ということです。
ディック・ブルーナ氏は、あの「ミッフィー」の生みの親であり、ミッフィー以外にもブラック・ベアなどの多くのキャラクターを生み出しました。
恥ずかしながら、私は今回の作品展でディック氏のミッフィー以外の作品を初めて見ました。氏の絵は単純にかわいく、そして非常にシンプルな印象をもちました。
氏の作品には、以下のようないくつかの特徴があり、
『効果的な色使い』・『大胆な省略』・『ユーモラスな線』・『リズミカルな反復』
本作品展ではそれぞれに焦点を当て、象徴的な作品を展示していました。
これらの特徴は、ディック氏の作品の「シンプルさ」をきわだたせる技法でもあります。
そして、私が特に感銘を受けたのが『大胆な省略』であり、
ディック氏の描く動物や無機物などを究極的に簡略化した絵
に非常に惹かれました。
(ブラックベアの商品) ディック・ブルーナ 公式オンラインショップのサイトより抜粋
(http://www.bruna.jp/products/detail.php?product_id=6441)
ディック氏はこれらの、一見してシンプルな絵を描く前に、
その対象物を”何度も精緻にスケッチ”した上で”無駄なものをぎりぎりまで”そぎ落としていくプロセス
を経ると言います。
この概念は多くの分野に通じるものだと思われます。
例えば、研究活動です。
東京大学の暦本純一教授はツイッターでこんな発言をされていました。
Thesisも論文もつまるところは1行。でもそれでは説得できないし根拠もないし再現性もないし既存研究との差分も説明されていないし理解に必要な予備知識も説明されていないし、と補足していくのでボリュームが出る。逆にその1行がないのにボリュームだけ作ってもそれは紙ではあっても論文ではない。
— Jun Rekimoto : 暦本純一 (@rkmt) December 25, 2017
『Thesisも論文もつまるところは1行。でもそれでは説得できないし根拠もないし再現性もないし既存研究との差分も説明されていないし理解に必要な予備知識も説明されていないし、と補足していくのでボリュームが出る。逆にその1行がないのにボリュームだけ作ってもそれは紙ではあっても論文ではない。』
これは研究活動に従事する者にとって、とても重要なマインドだと思います。
ディック氏が行った『精緻なデッサンを書く』という複雑性の高いプロセスは必要不可欠な工程です。
しかし、結果的に『シンプルな究極型』が産まれるまでは、その作品はまだ未完成であるとも言えます。
研究活動も同じであり、仮説をもとに検証をくりかえし、解析をかさね、考察を磨きあげていくという複雑性の高いプロセスがに必要です。そして、最終的に1行で表すことができて、はじめて論文が完成するというわけですね。
これの考え方、人気漫画のHUNTER X HUNTERに出てくるネテロ会長のワザ、「百式観音」にも通じるかと。
ネテロ会長は「正拳突き1万回」を毎日、長い年月をかけて繰り返しました。そして、余分な動作を極限まで削ぎ落としていった結果、音さえも置き去りにする究極の正拳突きが完成しました。
つまり何が言いたいかって言うと、
【ディック氏の作品】も【研究論文】も【ネテロ会長の正拳突き】も、
質の高い複雑性を含んだ活動
が
究極にシンプルで高い機能性を持つ産物を産む
ということの例なのではないかということです。
究極なシンプルさの奥には、究極な複雑さがあるのですね。
というのが、今日の私の気づきでした!